その33「浜松まつり」編

 5月は、旧暦で「皐月」です。語源は「田植えをする月」ですが、「皐」とは「神に捧げる稲」という意味だそうです。とはいえ、浜松で5月といえば、やっぱり「浜松まつり」!!まだ余韻にひたっている人も多いと思いますが、浜松まつりは、浜松にとって最大のイベントです。
 
 浜松まつりの起源は450年前、当時の引間城(現在の浜松城)の城主が長男の誕生を祝い、町民とともに凧を揚げたのが始まりだそうです。東京の天下祭りや京都の祇園祭りと違って、神社仏閣ではなく純粋な市民による、市民のための祭りであることが特徴です。祭りの初期は、鍛治町、大工町、肴町、塩町などといった町を中心に行われましたが、今年は174もの凧が中田島の空を埋め尽くしました。
 
 私はこの歴史を調べていて、浜松まつりが市民のための祭りであること、そしてその当時、鍛冶屋、大工屋、魚屋などの職人が浜松を支えていたことに関心を持ちました。すなわち、浜松には昔からたくさんの職人の血が流れていたということです。その証拠に、遠州という地には、ピアノを作った山葉寅楠(現 ㈱ヤマハ、㈱ヤマハ発動機)、自動織機を作った鈴木道雄(現 ㈱スズキ)、バイクを作った本田宗一郎(現 ㈱ホンダ)が生まれ育った街であり、豊田佐吉(現 ㈱トヨタ自動車)も湖西市の生まれです。こんな街は、日本にもそうそうないと思いますが、私がより大切だと思うことは、浜松という街に、そんな天才たちばかりでなく、その天才たちを支えた数多くの職人たちがいたということです。
 
 ソミック石川もその浜松に生まれ、浜松に育ててもらった会社です。名古屋から浜松に来て鍛冶屋に弟子入りに来た石川菊三郎は、大正5年に妻・福乃と共に2人で鍛冶屋を起こし、織機のボルトを作ったことからソミック石川の歴史はスタートしました。その後、戦火を潜り抜けながらも、戦後、ボールジョイントを作り始め、創業99年経った今では、日本で一番のボールジョイントメーカーになりました。そこまでには、長い歳月と本当にたくさんの人が携わってこられたと思います。そしてきっと、ソミックの先人たちにも、天才たちに負けない浜松の気質、ものづくりの心があったのだと思います。
 
 
 「ものづくりの心」とは、物のかたちを試行錯誤しながら考え、一つひとつ自分たちの手で大切に作りあげ、お客さんに真心こめて渡す、この全てがものづくりです。そしてこの仕事に自分のやりがいを感じ、生きがいを持つことこそがものづくりの心だと思います。これは、今を生きる自分たちも大切に育んでいかなければならない心であり、これからも次の100年に向けて後輩たちに必ず伝えていかなければならない心だと思います。
 
 さあ、来年には100周年を迎えるソミックで働く皆さん!
浜松のものづくりの天才たちに負けないよう、自分たちも頑張ってみようじゃありませんか!